BRITISH SPIRATION : Wrapped in a versatile peacoat
船の上から、都市生活まで。
November 14th,2024
JOURNAL
KNITWEAR AS BLANK CANVAS
Experience John Smedley’s creativity
at Aoyama flagship store
April 4th,2024
ジョン スメドレーが設立された1784年から現在に至る歴史のなかで、事業拡大の
足掛かりとなり、海外進出への契機になったのが、アンダーウェアの生産です。素
肌に触れる親密な衣類である下着は、触覚を通して直感的に判断される大切な日常
着でしょう。
ジョン スメドレーが設立された1784年から現在に至る歴史のなかで、事業拡大の足掛かりとなり、海外進出への契機になったのが、アンダーウェアの生産です。素肌に触れる親密な衣類である下着は、触覚を通して直感的に判断される大切な日常着でしょう。
とあるヴィンテージショップで偶然発見された、この下着は、1930年から1940年
初頭に販売されていたもの。ラウンドネックと3つのボタンは、ブランドのクラシ
ックなデザインです。HilsofFifeというロゴの入ったプラスティックのバッグは、
スコットランドにあるクリーニング店の袋であることがわかりました。下着の持ち
主は、より丁寧な洗濯と、美しいアイロン掛けのためにクリーニング店を利用して
いたのかもしれません。
とあるヴィンテージショップで偶然発見された、この下着は、1930年から1940年初頭に販売されていたもの。ラウンドネックと3つのボタンは、ブランドのクラシックなデザインです。HilsofFifeというロゴの入ったプラスティックのバッグは、スコットランドにあるクリーニング店の袋であることがわかりました。下着の持ち主は、より丁寧な洗濯と、美しいアイロン掛けのためにクリーニング店を利用していたのかもしれません。
これらのアーカイブを展示を行っているのが、昨年、2023年10月14日に東京・
南青山にあらたにオープンした、ジョン スメドレー青山です。明治神宮から伸びる
表参道を、さらに直進したみゆき通りで目を引くのは、煉瓦タイルのブロックが積
積み重なったようなFROM-1STビル。竣工は1975年です。
今でこそ、国内外のラグジュアリーブランドの旗艦店が並んでいますが、当時、ブ
ティックはなく、このビルはみゆき通りが日本有数のファッションストリートへ発
展していく先駆けでした。
建築家の山下和正は、単純な四角い箱ではなく、道路に沿ってショーウインドウが
並ぶのではない、複雑なビルを設計します。スムーズで機能的な動線計画をあえて
採用せず、スキップフロアを組み合わせて迷路性を取り入れることで、訪問客が、
建物の奥へと歩を進みたくなるつくりを目指しました。建築界において、これは、
六本木ヒルズや福岡のキャナルシティの設計にも影響を与えたエポックメイキング
だといわれています。
日本最初の路面店である銀座に続いて、この場所を選んだのは、家族経営のファク
トリーブランドとして展開してきた私たちが尊重するのはいつもローカルな歴史だ
からです。貴重なアーカイブとともに、日常に寄り添うニットウェアをここから提
案していきます。
Photography by Mitsuo Okamoto
Edit and Writing by Yoshikatsu Yamato (kontakt)
これらのアーカイブを展示を行っているのが、昨年、2023年10月14日に東京・南青山にあらたにオープンした、ジョン スメドレー青山です。明治神宮から伸びる表参道を、さらに直進したみゆき通りで目を引くのは、煉瓦タイルのブロックが積 積み重なったようなFROM-1STビル。竣工は1975年です。
今でこそ、国内外のラグジュアリーブランドの旗艦店が並んでいますが、当時、ブティックはなく、このビルはみゆき通りが日本有数のファッションストリートへ発 展していく先駆けでした。
建築家の山下和正は、単純な四角い箱ではなく、道路に沿ってショーウインドウが並ぶのではない、複雑なビルを設計します。スムーズで機能的な動線計画をあえて採用せず、スキップフロアを組み合わせて迷路性を取り入れることで、訪問客が、建物の奥へと歩を進みたくなるつくりを目指しました。建築界において、これは、六本木ヒルズや福岡のキャナルシティの設計にも影響を与えたエポックメイキングだといわれています。
日本最初の路面店である銀座に続いて、この場所を選んだのは、家族経営のファクトリーブランドとして展開してきた私たちが尊重するのはいつもローカルな歴史だからです。貴重なアーカイブとともに、日常に寄り添うニットウェアをここから提案していきます。
Photography by Mitsuo Okamoto
Edit and Writing by Yoshikatsu Yamato (kontakt)