「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃない
けれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきり
と映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェア
がよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回はKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭(キョウトグラフィー)を主催する
仲西祐介さんとルシール・レイボーズさんの場合。
Photograph_Yoko Takahashi
Text & Edit_Rui Konno
「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃないけれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきりと映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェアがよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回はKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭(キョウトグラフィー)を主催する仲西祐介さんとルシール・レイボーズさんの場合。
Photograph_Yoko Takahashi
Text & Edit_Rui Konno
“才能のある人はたくさんいる
そういう人たちを表に出したい”(レイボーズ)
“才能のある人はたくさんいる
そういう人たちを表に出したい”(レイボーズ)
―撮影中に少しお話が出ましたけど、おふたりは元々ジョン スメドレーを着てくださっていたんですね。
仲西:そうですね。いろんな色のを持ってます。学生時代からずっと旅をしていて、薄くて軽いスメドレーの
ニットは移動の飛行機で冷房がキツいときなんかに必要なので、温かいところに行くときでも必ず持って行っ
ています。この間、カンボジアに行ってきて日焼けしたら暗い色があまり似合わなくなっちゃったから、今日
は白にしました。
レイボーズ:タイムレスで、変わらないところに惹かれます。ジョン スメドレーのニットに、デザイン性の強い
ウェアを合わせるのが好き。仕事柄、ミュージシャンの撮影をたくさんしてきたけれど、イギリスのアーティス
トがやっぱりよく着ていますよね。見た目はシンプルだけど、自分でも着てるからすぐにわかるの。
仲西:少し前にふたりでロンドンに行ったときもルシールがスメドレーのニットを買っていて。僕もそれ、いい
なと思っていたら店員さんに「男性でもいけると思いますよ」と言われて、自分も大きめのウィメンズを買っ
たりしました。
―やっぱりおふたりはすごくグローバルですね。でも、そんなおふたりが京都で写真祭をやるようになったの
は、元々この土地にゆかりがあったからなんですか?
仲西:いえ、僕たちは2011年、震災の直前に知り合ったんですけど、その頃はお互い東京に住んでいたんで
す。ルシールには3歳になる娘がいたんですけど、放射能の心配があるからと、彼女は京都に引っ越して。
僕は僕で照明の仕事を東京でずっとやってたんですけど、福島の原発の電気がほぼ東京のためだけにあった
っていうのをそのとき初めて知って驚いて。それから東京には人が多すぎると感じるようになって、自分も
東京を離れることにしました。僕は元々京都にすごく興味があったから、せっかくだからと京都にアトリエ
を借りて、自分の照明作品をつくろうと思ったんです。
―撮影中に少しお話が出ましたけど、おふたりは元々ジョン スメドレーを着てくださっていたんですね。
仲西:そうですね。いろんな色のを持ってます。学生時代からずっと旅をしていて、薄くて軽いスメドレーの
ニットは移動の飛行機で冷房がキツいときなんかに必要なので、温かいところに行くときでも必ず持って行っ
ています。この間、カンボジアに行ってきて日焼けしたら暗い色があまり似合わなくなっちゃったから、今日
は白にしました。
レイボーズ:タイムレスで、変わらないところに惹かれます。ジョン スメドレーのニットに、デザイン性の強いウェアを合わせるのが好き。仕事柄、ミュージシャンの撮影をたくさんしてきたけれど、イギリスのアーティストがやっぱりよく着ていますよね。見た目はシンプルだけど、自分でも着てるからすぐにわかるの。
仲西:少し前にふたりでロンドンに行ったときもルシールがスメドレーのニットを買っていて。僕もそれ、いいなと思っていたら店員さんに「男性でもいけると思いますよ」と言われて、自分も大きめのウィメンズを買ったりしました。
―やっぱりおふたりはすごくグローバルですね。でも、そんなおふたりが京都で写真祭をやるようになったのは、元々この土地にゆかりがあったからなんですか?
仲西:いえ、僕たちは2011年、震災の直前に知り合ったんですけど、その頃はお互い東京に住んでいたんです。ルシールには3歳になる娘がいたんですけど、放射能の心配があるからと、彼女は京都に引っ越して。僕は僕で照明の仕事を東京でずっとやってたんですけど、福島の原発の電気がほぼ東京のためだけにあったっていうのをそのとき初めて知って驚いて。それから東京には人が多すぎると感じるようになって、自分も東京を離れることにしました。僕は元々京都にすごく興味があったから、せっかくだからと京都にアトリエを借りて、自分の照明作品をつくろうと思ったんです。
―それぞれ、別々に京都へ移住されたんですね。
仲西:はい。あのときは震災の直後で、撮影の仕事も全部飛んじゃってなくなってしまって。とにかく時間
だけがいっぱいあったから、ふたりで自転車に乗って京都をぐるぐる回ってたんですが、そうしているうち
に知らない建物とか、おもしろい場所がたくさん見えてきて、どちらからでもなく「ここで写真祭をやった
ら、すごいのができるね!」って話をしていました。
―京都にもギャラリーや美術館はたくさんありますけど、街中を展示の舞台にするというのがやっぱり最初
は特に新鮮でした。
仲西:二人で京都を回る中で祇園祭に行ったんですけど、あのお祭りは鉾を移動させるメインの催しともう
ひとつ、古い町家に代々伝わる調度品や美術品が公開されて、通りから格子越しに見ることができる屏風祭
っていうのをやってるんです。それを見たとき、この街で普段アート作品の展示をしてないようなところで
展示をすることで、伝わり方が変わるんじゃないかと感じて。それがKYOTOGRAPHIEのインスピレーショ
ンになりました。
―二条城のような世界遺産から地下の印刷工場跡まで、会場の選定自体にもすごく驚かされました。京都
新聞ビルの地下のヴィヴィアン・サッセンの展示、素晴らしかったです。
仲西:あの建物もかなり古くて、もう壊されてしまうかもしれないんです。今年はJRというフランスのアーテ
ィストが京都に住んでいる500人の人たちを撮影して、その写真で京都駅に100平米の壁画をつくるんですけど、
そのインスタレーションを京都新聞の地下で展示するんです。
―どの展示場所も個性的ですよね。
仲西:でも、例えば展示会場が町家だと、美術館やギャラリーと違って写真を掛けるところがなかったりする
んです。だから畳の上に書見台を置いてみたり、掛け軸にしてみたりとか、いろんなアイデアを出して。
KYOTOGRAPHIEのスペシャリティのひとつが、そういう設えというか、写真の見せ方になっていくんです。
僕たちはセノグラフィーと呼んでるんですけど、そういう展示空間デザインを建築家やデザイナーと一緒に
ずっとやってきました。
―観る側にとっては楽しいですけど、提案する側はすごく大変ですよね。
仲西:いまだにそうなんですけど、最初のころは海外の有名な写真家の人たちがそもそも日本に来たことがな
くて、靴を脱いで畳に上がるっていう感覚すらわからない、とかいうこともあって。彼らからしたら、床って
汚れてるものっていう考え方なので、「なんで自分の作品が足で蹴られるような場所にあるんだ!」って怒
り出す人とかもいて。オンライン会議上で映しながら、一生懸命説明したりしましたね(笑)。
―まさしく文化の違いですよね。でも、つくづくそうやって不慣れな街で未経験の写真祭を実現できたって、
本当にすごいことだと思います。特に難しかったのはどんな部分ですか?
レイボーズ:エブリシング。すべてが大変だったわね…!(笑)
仲西:ふたりともフリーランスで彼女はフォトグラファー、僕はライティングディレクターをやってたので、
それまで企画書なんて書いたこともなかったですし、スポンサーを探したこともありませんでしたからね。
でも、何も知らない強さもあったと思います。京都のしきたりを知らないから、地元の人からしたら「声を
掛けちゃダメだ」っていうような人にも平気で声を掛けたし、合わせちゃいけないとされる人たちも知らず
に合わせていたり。
レイボーズ:やりながら学んでいったわ。
―それぞれ、別々に京都へ移住されたんですね。
仲西:はい。あのときは震災の直後で、撮影の仕事も全部飛んじゃってなくなってしまって。とにかく時間だけがいっぱいあったから、ふたりで自転車に乗って京都をぐるぐる回ってたんですが、そうしているうちに知らない建物とか、おもしろい場所がたくさん見えてきて、どちらからでもなく「ここで写真祭をやったら、すごいのができるね!」って話をしていました。
―京都にもギャラリーや美術館はたくさんありますけど、街中を展示の舞台にするというのがやっぱり最初
は特に新鮮でした。
仲西:二人で京都を回る中で祇園祭に行ったんですけど、あのお祭りは鉾を移動させるメインの催しともうひとつ、古い町家に代々伝わる調度品や美術品が公開されて、通りから格子越しに見ることができる屏風祭っていうのをやってるんです。それを見たとき、この街で普段アート作品の展示をしてないようなところで展示をすることで、伝わり方が変わるんじゃないかと感じて。それがKYOTOGRAPHIEのインスピレーションになりました。
―二条城のような世界遺産から地下の印刷工場跡まで、会場の選定自体にもすごく驚かされました。京都新聞ビルの地下のヴィヴィアン・サッセンの展示、素晴らしかったです。
仲西:あの建物もかなり古くて、もう壊されてしまうかもしれないんです。今年はJRというフランスのアーティストが京都に住んでいる500人の人たちを撮影して、その写真で京都駅に100 平米の壁画をつくるんですけど、そのインスタレーションを 京都新聞の地下で展示するんです。
―どの展示場所も個性的ですよね。
仲西:でも、例えば展示会場が町家だと、美術館やギャラリーと違って写真を掛けるところがなかったりするんです。だから畳の上に書見台を置いてみたり、掛け軸にしてみたりとか、いろんなアイデアを出して。KYOTOGRAPHIE のスペシャリティのひとつが、そういう設えというか、写真の見せ方になっていくんです。 僕たちはセノグラフィーと呼んでるんですけど、そういう展示空間デザインを建築家やデザイナーと一緒にずっとやってきました。
―観る側にとっては楽しいですけど、提案する側はすごく大変ですよね。
仲西:いまだにそうなんですけど、最初のころは海外の有名な写真家の人たちがそもそも日本に来たことがなくて、靴を脱いで畳に上がるっていう感覚すらわからない、とかいうこともあって。彼らからしたら、床って汚れてるものっていう考え方なので、「なんで自分の作品が足で蹴られるような場所にあるんだ!」って怒り出す人とかもいて。オンライン会議上で映しながら、一生懸命説明したりしましたね(笑)。
―まさしく文化の違いですよね。でも、つくづくそうやって不慣れな街で未経験の写真祭を実現できたって、
本当にすごいことだと思います。特に難しかったのはどんな部分ですか?
レイボーズ:エブリシング。すべてが大変だったわね…!(笑)
仲西:ふたりともフリーランスで彼女はフォトグラファー、僕はライティングディレクターをやってたので、それまで企画書なんて書いたこともなかったですし、スポンサーを探したこともありませんでしたからね。でも、何も知らない強さもあったと思います。京都のしきたりを知らないから、地元の人からしたら「声を掛けちゃダメだ」っていうような人にも平気で声を掛けたし、合わせちゃいけないとされる人たちも知らずに合わせていたり。
レイボーズ:やりながら学んでいったわ。
―そう言えば、先日のプレスカンファレンスで登壇された際に、KYOTOGRAPHIEには以前おふたりで
海外の写真祭に足を運んだ経験が活きている、というようなお話もされていましたよね。
仲西:はい、南フランスのアルルの国際写真祭ですね。2011年の震災の前にルシールから「日本の怪談を
テーマに写真作品を作成をしたいから、一緒にやってくれない?」と連絡をもらって。ルシールは元々ド
キュメンタリーの写真家で、普段は照明をほとんど使っていないから一緒にやってほしいと。
ルシール:そうだったわね。
仲西:それで小泉八雲をもう一度読み直したら、怪談って、人間が自然に対する敬意を忘れてしまったときに
しっぺ返しが来る…みたいな話がほとんどで。その直後に震災があったから、それをすごく実感したんです。
―畏怖という点で、確かに重なりますね。
仲西:その作品をパリで展示したんですけど、ちょうど同じ時期にアルルで写真祭をやってるというので、一
緒に行くことにして。だけど震災のすぐ後だし、日本人は誰もいませんでした。それでもみんな日本のこ
とを心配していて、「今、日本はどうなってるの?」、「日本の写真家はどんな写真を撮ってるんだ?」って色々
質問されるんだけど、自分はそれにちゃんと答えられなくて…。でも、これだけ日本のことを知りたい人たち
がいるなら、日本側にもそれに応えるプラットフォームがないとまずいんじゃないかと。それで帰国して、
「アルルみたいな国際写真祭、絶対やった方がいいですよ!」といろんな写真家さんたちに話してみたんです
けど、誰もやりそうになくて(笑)。
―「じゃあ、やるか」とは、なかなかならないですよね(笑)。
仲西:フェスティバルはお祭りなので、儲からないのに予算はたくさん必要だから、だいたい国や市とかが
お金を出してやることが多いんです。僕らは本当にただの個人だったけど、とにかく誰もやらないので、「自
分たちでやろう」と。
レイボーズ:その頃、私はもう何年も日本に住んでいたんだけど、日本には素晴らしい写真家がたくさんいる
のに、いつも名前が出てくるのは同じ人ばかりで。他にも才能のある人はたくさんいるんだから、もっとそう
いう人たちを表に出したいとずっと思っていたの。
仲西:それと、震災で福島の原発事故が起こったとき、放射能がどれだけ危ないかという情報が日本のメディ
アではほとんど流れてなくて、海外のメディアから知ったような状況でした。あれほどメディアの情報がコン
トロールされていたっていうことが、けっこう僕にはショックで。それで、世界で今起きてる社会課題や環境
問題についてオープンに話せるメディアとして、写真祭をやるべきだと思ったんです。
―そう言えば、先日のプレスカンファレンスで登壇された際に、KYOTOGRAPHIEには以前おふたりで海外の写真祭 に足を運んだ経験が活きている、というようなお話もされていましたよね。
仲西:はい、南フランスのアルルの国際写真祭ですね。2011年の震災の前にルシールから「日本の怪談をテーマに写真作品を制作したいから、一緒にやってくれない?」と連絡をもらって。ルシールは元々ドキュメンタリーの写真家で、普段は照明をほとんど使っていないから一緒にやってほしいと。
ルシール:そうだったわね。
仲西:それで小泉八雲をもう一度読み直したら、怪談って人間が自然に対する敬意を忘れてしまったときにしっぺ返しが来る…みたいな話がほとんどで。その直後に震災があったから、それをすごく実感したんです。
―畏怖という点で、確かに重なりますね。
仲西:その作品をパリで展示したんですけど、ちょうど同じ時期にアルルで写真祭をやってるというので、一緒に行くことにして。当然震災のすぐ後だし、日本人は 誰もいませんでした。それでもみんな日本のことを心配してくれて、「今、日本はどうなってるの?」、「日本の写真家はどんな写真を撮ってるんだ?」って色々質問されるんだけど、自分はそれにちゃんと答えられなくて……。 でも、これだけ日本のことを知りたい人たちがいるなら、日本側にもそれに応えるプラットフォームがないとまずいんじゃないかと。それで帰国して、「アルルみたいな国際写真祭、絶対やった方がいいですよ!」といろんな写真家さんたちに話してみたんですけど、誰もやりそうになくて(笑)。
―「じゃあ、やるか」とは、なかなかならないですよね(笑)。
仲西:フェスティバルはお祭りなので、儲からないのに予算はたくさん必要だから、だいたい国や市とかがお金を出してやることが多いんです。僕らは本当にただの個人だったけど、とにかく誰もやらないので、「自分たちでやろう」と 。
レイボーズ:その頃、私はもう何年も日本に住んでいたんだけど、日本には素晴らしい写真家がたくさんいる
のに、いつも名前が出てくるのは同じ人ばかりで。他にも才能のある人はたくさんいるんだから、もっとそう
いう人たちを表に出したいとずっと思っていたの。
仲西:それと、震災で福島の原発事故が起こったとき、放射能がどれだけ危ないかという情報が日本のメディアではほとんど流れてなくて、海外のメディアから知ったような状況でした。あれほどメディアの情報がコントロールされてしまったということが、けっこう僕にはショックで。それで、世界で今起きてる社会課題や環境問題についてオープンに話せるメディアとして、写真祭をやるべきだと思ったんです。
“国際的な舞台に上がれば
タブーもタブーじゃなくなる”(仲西)
“国際的な舞台に上がれば
タブーもタブーじゃなくなる”(仲西)
レイボーズ:そうね。震災もそうだし、パンデミックのときもそうだったけど、本当にKYOTOGRAPHIEは
人々がもう一度つながるための新しいプラットフォームをつくってきたと思う。突然、分断されてしまうって
いう状況になったときに、それをもう一回コネクトすることが必要よね。震災のとき、海外の人たちには福島
の状況が日本そのものであるかのように見えていたと思う。だけど、私はもっといろんな日本のイメージを伝
えたかったの。
仲西:メディアはその使命として、一番大変なところを伝えるのでその国の本当の状況っていうのは外国から
はなかなか見えてこない。日本のことをちゃんと海外に伝えて、海外の情報を日本に伝えるためには、やっぱ
り人に来て見てもらう必要があると思ったんです。
レイボーズ:それに、日本のアーティスト、特に写真家で世界に認知されて評価されている人はごくわずかだ
ったし、震災以降はアーティストの人たちもすごく苦しんでいた。だから、海外と日本のアーティストが交流
できる新しい場をつくりたいという気持ちもありました。写真はすごくパワフルなメディアだし、言語が違っ
てもイメージを共有することでお互いを理解できると思う。それは私たちの信念で、だからKYOTOGRAPHIE
では積極的に社会問題を取り上げているの。
―ジャーナリズムと芸術の両側面があるんですね。
仲西:国によって当然タブーってありますよね 。日本の 問題もそうだろうし、水俣病と同じような状況がまた
起きてしまったということも、きっとそう。そういうタブーはそれぞれの国にあるんだろうけど、それが国際的
な舞台に上がって しまえばタブーもタブーじゃなくなるというか。現代社会においてひとつの国で起きている問
題は他の国にも多かれ少なかれ影響していたり、別の場所でも同じ問題が起きたりしています。つまり世界の問
題とも言えるんです。なのでその問題を国際的に考えていくために、フェスティバルのスタッフにもいろんな国
の人に入ってもらい、国際的な観客も含めみんなで考えていくスタンスを取っています。
レイボーズ:私たちが展示場所に歴史的建造物を選ぶ理由は、普段は写真展に行かないような人たちにも写真
を観てもらいたかったから。町家や寺社仏閣のような場所で展示した方が、より多様な観客を集めることがで
きると思ったんです。
仲西:写真って日本では美術館やギャラリーで観るものになってますけど、僕らは元々アカデミックな人間では
ないので、やりたかったのはもっとソーシャルなこと。アートの垣根を取っ払って、アートを民主化したかった
んです。
レイボーズ:子ども向けのプログラムを用意してるのもそれが理由です。年齢も性別も職業も関係なく、どんな
人でも自分にとっての入り口を見つけられるようにしたかったの。本当に多様性がとても大切なの。
レイボーズ:そうね。震災もそうだし、パンデミックのときもそうだったけど、本当にKYOTOGRAPHIEは人々がもう一度つながるための新しいプラットフォームをつくってきたと思う。突然、分断されてしまうっていう状況になったときに、それをもう一回コネクトすることが必要よね 。震災のとき、海外の人たちには福島の状況が日本そのものであるかのように見えていたと思う。だけど、私はもっといろんな日本のイメージを伝えたかったの。
仲西:メディアはその使命として、 一番大変なところを伝えるので 。その国の本当の状況というのは外国からはなかなか見えてこない。日本のことをちゃんと海外に伝えて、海外の情報を日本に伝えるためには、やっぱり人に来て見てもらう必要があると思ったんです。
レイボーズ:それに、日本のアーティスト、特に写真家で世界に認知されて評価されている人はごくわずかだったし、震災以降はアーティストの人たちもすごく苦しんでいた。だから、海外と日本のアーティストが交流できる新しい場をつくりたいという気持ちもありました。写真はすごくパワフルなメディアだし、言語が違ってもイメージを共有することでお互いを理解できると思う。それは私たちの信念で、だからKYOTOGRAPHIEでは積極的に社会問題を取り上げているの。
―ジャーナリズムと芸術の両側面があるんですね。
仲西:国によって当然タブーってありますよね 。日本の問題もそうだろうし、水俣病と同じような状況がまた起きてしまったということも、きっとそう。そういうタブーはそれぞれの国にあるんだろうけど、それが国際的な舞台に上がってしまえばタブーもタブーじゃなくなるというか。現代社会においてひとつの国で起きている問題は他の国にも多かれ少なかれ影響していたり、別の場所でも同じ問題が起きたりしています。つまり世界の問題とも言えるんです。なのでその問題を国際的に考えていくために、フェスティバルのスタッフにもいろんな国の人に入ってもらい、国際的な観客も含めみんなで考えていくスタンスを取っています。
レイボーズ:私たちが展示場所に歴史的建造物を選ぶ理由は、普段は写真展に行かないような人たちにも写真を観てもらいたかったから。町家や寺社仏閣のような場所で展示した方が、より多様な観客を集めることができると思ったんです。
仲西:写真って日本では美術館やギャラリーで観るものになってますけど、僕らは元々アカデミックな人間ではないので、やりたかったのはもっとソーシャルなこと。アートの垣根を取っ払って、アートを民主化したかったんです。
レイボーズ:子ども向けのプログラムを用意してるのもそれが理由です。年齢も性別も職業も関係なく、どんな人でも自分にとっての入り口を見つけられるようにしたかったの。本当に多様性がとても大切なの。
―ここまでお話しを聞いていても、おふたりの人生がどんどん新しいステップに進んでいったんだろうなと
すごく感じます。
仲西:本当にこんなことになるとは想像もしませんでした 。なんでこんな大変なことをやってるんだ? と
時々思うんですけど(笑)。でも、やってみてわかったんですけど、たぶん自分のためだったらここまで頑
張れないんですよ。でも、人のためだったら企画書を書いたりスポンサーを探したり、全然できちゃう。
レイボーズ:KYOTOGRAPHIEを始めてからは一年中走り続けているような感覚ね。本当にクレイジーだと
思います(苦笑)。好きな人たちと好きなことをやれているから何も不満なんてないけど、やることが多すぎ
て自分の時間が圧迫されてしまってるのは確かね(笑)。
―(笑)。これまでで、特に写真の力や可能性を強く感じた展示で思いつくものがあれば教えていただけ
ますか?
仲西:KYOTOGRAPHIEは細江英公さんの『鎌鼬』という作品の展示から始まったんですけど、そのとき
ですね。土方巽さんという 舞踏の創始者の人を撮った作品を和紙にプリントして、それを襖に貼り込んで、
襖を全部閉めたら巨大な一枚の作品になるという展示で。僕たちふたりが尊敬する写真家だったので、それ
が完成したときは本当に嬉しかったです。
レイボーズ:もちろん、そういうレジェンドのような写真家の作品も発表しているけれど、それ以外のアーテ
ィストたちもみんな個性的パワフル。新しい世代はメディアとの関わり方もまた変わってきてると思うし、オ
リジナルプリント以外にもすごく可能性を感じています。あとは2022年、KYOTOGRAPHIEの10周年でやっ
た、10人の現代日本人女性写真家による作品の展示もすごくおもしろかったわ。それぞれ視点も手法も全然違
うんだけど、なんて言うか、女性の未来を感じられるような体験でした。
―今年のテーマは“HUMANITY”とのことでしたが、その理由が今日のお話で少し分かった気がします。今後
のビジョンについて、可能な範囲で聞かせていただけますか?
ルシール:素晴らしいアーティストへのオマージュを、というのはもちろんあります。でも、あとは毎年、そ
のときに伝えたいストーリーやメッセージを共有していきたいです。発見もあるし、長期的な対話のようでも
あるわね。
仲西:そうだね。きっと京都の人たちも、 最初はわけのわからない奴らがわけのわからないことを始めたと
感じていたと思うけど、徐々に来てくれるようになって受け入れてくれたあとは本当に心強くて。京都の長い
歴史の中で言ったら、僕たちのやってることなんて赤ちゃんみたいなものなので。いつかわかってもらえると
信じて続けてきて良かったなと思っています。京都の人はまた驚くかもしれませんが、もっともっと前例のな
いことに挑戦していきたいと思います。
ルシール:チームやパートナー、スポンサーにアーティスト、私たちは本当に素晴らしい人たちと長年仕事が
できてラッキーだと思ってます。だから、前に進むことは決して難しくないの。ただ、1日が24時間では足り
ないけどね(笑)。
仲西:今年は4月12日から1ヶ月間やってるので、タイミングが合えばぜひ観にきてください。5月の京都は、
一番気持ちがいいですよ。
―ここまでお話しを聞いていても、おふたりの人生がどんどん新しいステップに進んでいったんだろうなとすごく感じます。
仲西:本当にこんなことになるとは想像もしませんでした 。なんでこんな大変なことをやってるんだ? と 時々思うんですけど(笑)。でも、やってみてわかったんですけど、たぶん自分のためだったらここまで頑張れないんですよ。でも、人のためだったら企画書を書いたりスポンサーを探したり、全然できちゃう。
レイボーズ:KYOTOGRAPHIEを始めてからは一年中走り続けているような感覚ね。本当にクレイジーだと思います(苦笑)。好きな人たちと好きなことをやれているから何も不満なんてないけど、やることが多すぎて自分の時間が圧迫されてしまってるのは確かね(笑)。
―(笑)。これまでで、特に写真の力や可能性を強く感じた展示で思いつくものがあれば教えていただけますか?
仲西:KYOTOGRAPHIEは細江英公さんの『鎌鼬』という作品の展示から始まったんですけど、そのときですね。土方巽さんという 舞踏の創始者の人を撮った作品を和紙にプリントして、それを 襖に貼り込んで、襖を全部閉めたら巨大な一枚の作品になるという展示で。僕たちふたりが尊敬する写真家だったので、それが完成したときは本当に嬉しかったです。
レイボーズ:もちろん、そういうレジェンドのような写真家の作品も発表しているけれど、それ以外のアーティストたちもみんな個性的でパワフル。新しい世代はメディアとの関わり方もまた変わってきてると思うし、オリジナルプリント以外にもすごく可能性を感じています。あとは2022年、KYOTOGRAPHIEの10周年でやった、10人の現代日本人女性写真家による作品の展示もすごくおもしろかったわ。それぞれ視点も手法も全然違うんだけど、なんて言うか、 女性の未来を感じられるような体験でした。
―今年のテーマは“HUMANITY”とのことでしたが、その理由が今日のお話で少し分かった気がします。今後のビジョンについて、可能な範囲で聞かせていただけますか?
ルシール:素晴らしいアーティストへのオマージュを、というのはもちろんあります。でも、あとは毎年、そのときに伝えたいストーリーやメッセージを共有していきたいです。発見もあるし、長期的な対話 のようでもあるわね。
仲西:そうだね。きっと京都の人たちも、 最初はわけのわからない奴らがわけのわからないことを始めたと 感じていたと思うけど、徐々に来てくれるようになって受け入れてくれたあとは本当に心強くて。京都の長い歴史の中で言ったら、僕たちのやってることなんて赤ちゃんみたいなものなので。いつかわかってもらえると信じて 続けてきて良かったなと思っています。京都の人はまた驚くかもしれませんが、もっともっと前例のないことに挑戦していきたいと思います。
ルシール:チームやパートナー、スポンサーにアーティスト、私たちは本当に素晴らしい人たちと長年仕事ができてラッキーだと思ってます。だから、前に進むことは決して難しくないの。ただ、1日が24時間では足りないけどね(笑)。
仲西:今年は4月12日から1ヶ月間やってるので、タイミングが合えばぜひ観にきてください。5月の京都は、一番気持ちがいいですよ。
仲西祐介|なかにし ゆうすけ
照明家
1968年生まれ、福岡県出身。映画や舞台、ファッションショーなど、様々なシチュエーションで照明を手がける
ライティングディレクターとして長年活動を続ける。美術館やギャラリーでライティングインスタレーション
作品も発表しており、自身の仕事と向き合った結果、京都へと移り住んだのは本稿でも触れた通り。
Instagram: @ yusuke_kyotographie
ルシール・レイボーズ
写真家
1973年生まれ、フランス・リヨン出身。幼少の一時期をアフリカ、マリ共和国で過ごし、ポートレイトを中心に
写真家として活動していた折の1999年に坂本龍一のオペラ、『Life』に参加するため来日。2007年には拠点を
日本に移し、2011年より京都へ移住。2013年に仲西とともに「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」を立ち上げ、
2023年に「ボーダレスミュージック・フェステバル KYOTOPHONIE」始めている。
Instagram: @ kyotographie
仲西祐介|なかにし ゆうすけ
照明家
1968年生まれ、福岡県出身。映画や舞台、ファッションショーなど、様々なシチュエーションで照明を手がけるライティングディレクターとして長年活動を続ける。美術館やギャラリーでライティングインスタレーション作品も発表しており、自身の仕事と向き合った結果、京都へと移り住んだのは本稿でも触れた通り。
Instagram: @ yusuke_kyotographie
ルシール・レイボーズ
写真家
1973年生まれ、フランス・リヨン出身。幼少の一時期をアフリカ、マリ共和国で過ごし、ポートレイトを中心に写真家として活動していた折の1999年に坂本龍一のオペラ、『Life』に参加するため来日。2007年には拠点を日本に移し、2011年より京都へ移住。2013年に仲西とともに「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」を立ち上げ、2023年に「ボーダレスミュージック・フェステバル KYOTOPHONIE」始めている。
Instagram: @ kyotographie