「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃない
けれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきり
と映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェア
がよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回はスタイリスト、上杉美雪さんの場合。
Photograph_SAKAI DE JUN
Text & Edit_Rui Konno
「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃないけれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきりと映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェアがよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回はスタイリスト、上杉美雪さんの場合。
Photograph_SAKAI DE JUN
Text & Edit_Rui Konno
“強く願って行動すれば奇跡は起こるんだ”
―今日は炎天下での撮影にもお付き合いくださってありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。楽しかったです。着心地の良いニットだから本当は素肌に一枚で着てもいいかなと思ったんですけど、せっかくなのでもう少しスタイリングをしてみようかなって(笑)。
―その分暑かったでしょうけど、日差しに映える素敵な色柄のレイヤリングでした。でも、
インスタのアカウント通り、“ミユキブルー”のイメージが強かったので、黄色を着てこられたのはちょっと意外です。
黄色は元々好きな色なんです。特に女性って自分の肌に合う色、合わない色っていうのがあると思うんですけど、私の中ではこういうちょっとだけオレンジがかった黄色は自分の肌に合うような気がしていて。
―ちなみに中から覗いているストライプのポロシャツはどちらのものなんですか?
1、2年前のウェールズ・ボナーです。ベーシックなポロシャツ同士をレイヤードすることで、両方が新鮮に見える着こなしになるんじゃないかな、と思ったんです。
―私服のレパートリーでこういう合わせ方がサラッとできるのは、流石に本職のスタイリストさんですね。
でも、私のクローゼットを見るとみんなびっくりするんですよ。「え? スタイリストなのにこれしか服、持ってないの?」って。
―それは定期的にワードローブを入れ替えているってことですか?
はい。昔は、いつかスタイリングで使うかもしれないし、この服は残しておこう、とかって考えてた時期もあったんです。でも、そのいつかが来たときには、たいてい気分も変わっていて「今じゃないな」って。だったらそのいつかが来たときに、また探そうと思ってます。
―それでも手放せない服はありますか?
フィービー・ファイロが好きで、彼女の服だけは取ってあります。本当に素晴らしいクリエイションで、彼女がセリーヌを手がけていたときは、毎シーズン夢中でした。ご家族を大切にされていて、仕事にも熱量を持っている彼女自身のインディペンデントな生き方にもどハマりしたんですよね。自分がいつも思い描いて、エディトリアルの中で表現したかった女性像とぴったり重なっていたから。
―なるほど。でも、必要なときに探すという考え方はスタイリストさんらしいなと思いました。
スタイリングって、すでにあるもの同士を組み合わせる仕事だと私は思っていて私はこの“組み合わせる”っていうことがすごく好きなんです。例えば、それひとつでは輝いていなかったとしても、組み合わせることで輝いて見えるアイテムってあると思うんです。コーディネイトして組み合わせたことで、新しいスタイルが出来上がる。その瞬間にワクワクします。
―今日は炎天下での撮影にもお付き合いくださってありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。楽しかったです。着心地の良いニットだから本当は素肌に一枚で着てもいいかなと思ったんですけど、せっかくなのでもう少しスタイリングをしてみようかなって(笑)。
―その分暑かったでしょうけど、日差しに映える素敵な色柄のレイヤリングでした。でも、
インスタのアカウント通り、“ミユキブルー”のイメージが強かったので、黄色を着てこられたのはちょっと意外です。
黄色は元々好きな色なんです。特に女性って自分の肌に合う色、合わない色っていうのがあると思うんですけど、私の中ではこういうちょっとだけオレンジがかった黄色は自分の肌に合うような気がしていて。
―ちなみに中から覗いているストライプのポロシャツはどちらのものなんですか?
1、2年前のウェールズ・ボナーです。ベーシックなポロシャツ同士をレイヤードすることで、両方が新鮮に見える着こなしになるんじゃないかな、と思ったんです。
―私服のレパートリーでこういう合わせ方がサラッとできるのは、流石に本職のスタイリストさんですね。
でも、私のクローゼットを見るとみんなびっくりするんですよ。「え? スタイリストなのにこれしか服、持ってないの?」って。
―それは定期的にワードローブを入れ替えているってことですか?
はい。昔は、いつかスタイリングで使うかもしれないし、この服は残しておこう、とかって考えてた時期もあったんです。でも、そのいつかが来たときには、たいてい気分も変わっていて「今じゃないな」って。だったらそのいつかが来たときに、また探そうと思ってます。
―それでも手放せない服はありますか?
フィービー・ファイロが好きで、彼女の服だけは取ってあります。本当に素晴らしいクリエイションで、彼女がセリーヌを手がけていたときは、毎シーズン夢中でした。ご家族を大切にされていて、仕事にも熱量を持っている彼女自身のインディペンデントな生き方にもどハマりしたんですよね。自分がいつも思い描いて、エディトリアルの中で表現したかった女性像とぴったり重なっていたから。
―なるほど。でも、必要なときに探すという考え方はスタイリストさんらしいなと思いました。
スタイリングって、すでにあるもの同士を組み合わせる仕事だと私は思っていて私はこの“組み合わせる”っていうことがすごく好きなんです。例えば、それひとつでは輝いていなかったとしても、組み合わせることで輝いて見えるアイテムってあると思うんです。コーディネイトして組み合わせたことで、新しいスタイルが出来上がる。その瞬間にワクワクします。
―どうしてもモノ単体のトピックはわかりやすいですけど、たぶん組み合わせの楽しさってその先にあるものですよね。踏み込んで気づくおもしろさというか。
そう思います。組み合わせることでその洋服が輝いて見えることが嬉しくて、それって洋服を大切にするきっかけにもなるから、とてもいいことだと思うんです。自分自身の気づきや学びになることが多いから、スタイリストっていう職業に就いて良かったなと思っています。
―そういえば、そもそも上杉さんがスタイリストを志したのはいつ頃だったんですか?
私が地元の大分にいた頃って、雑誌の『オリーブ』の全盛期だったんですね。そこでスタイリストっていう仕事があると知って、“この仕事に就きたい!”と思うようになったんです。それで、あるとき『オリーブ』が“ジーンズ・プリンセスを探せ!”っていう題名で、全国スナップをやってたんですよ。
―それが九州にも来たんですか?
大分には来てくれなかったけど、熊本には来るとわかって。とにかくスタイリストになるという夢をかなえるためにはコネクションをつくらないと! と。スナップをきっかけに、編集者とコネクションをつくるんだと息巻いて駆けつけて、結果としてはスナップに載ったんです。
―すごい! なかなか狙ってできることじゃないですもんね。
ラッキーですよね。それでその時いらっしゃった編集の方にアプローチをして、そこからコンタクトを取り始めたんです。でも、その頃のスタイリストって超人気の職業で、アシスタントもとにかく全然空きがなかったんですよ。それでも、同じマガジンハウス『アンアン』編集部のアシスタントとして入れることになって、当時『アンアン』で活躍していたスタイリストさんのお手伝いができることになって。
―転機が訪れたんですね。ちなみにそれまでは何をされてたんですか?
銀行務めをしてました。
―え!? 銀行!?
10代の頃にバレーボールを結構本気でやっていて、銀行員としてバレーボールチームに所属して22歳の終わりぐらいまで5年間くらい、そこで働きました。それで、実家住まいの銀行勤務で、貯めたお金を全部持って東京に出てきたんです。バイトしながらアシスタントの空きを待っていたけど、なかなか出なくて。そうしたら、同潤会アパート…今の表参道ヒルズですね。当時はそこにあったファーマーズテーブルっていう雑貨屋さんで働いていた友達が「インテリアのスタイリストさんがアシスタントを探してるよ」と教えてくれて。その後、その方にアシスタントとして採用されました。
―どうしてもモノ単体のトピックはわかりやすいですけど、たぶん組み合わせの楽しさってその先にあるものですよね。踏み込んで気づくおもしろさというか。
そう思います。組み合わせることでその洋服が輝いて見えることが嬉しくて、それって洋服を大切にするきっかけにもなるから、とてもいいことだと思うんです。自分自身の気づきや学びになることが多いから、スタイリストっていう職業に就いて良かったなと思っています。
―そういえば、そもそも上杉さんがスタイリストを志したのはいつ頃だったんですか?
私が地元の大分にいた頃って、雑誌の『オリーブ』の全盛期だったんですね。そこでスタイリストっていう仕事があると知って、“この仕事に就きたい!”と思うようになったんです。それで、あるとき『オリーブ』が“ジーンズ・プリンセスを探せ!”っていう題名で、全国スナップをやってたんですよ。
―それが九州にも来たんですか?
大分には来てくれなかったけど、熊本には来るとわかって。とにかくスタイリストになるという夢をかなえるためにはコネクションをつくらないと! と。スナップをきっかけに、編集者とコネクションをつくるんだと息巻いて駆けつけて、結果としてはスナップに載ったんです。
―すごい! なかなか狙ってできることじゃないですもんね。
ラッキーですよね。それでその時いらっしゃった編集の方にアプローチをして、そこからコンタクトを取り始めたんです。でも、その頃のスタイリストって超人気の職業で、アシスタントもとにかく全然空きがなかったんですよ。それでも、同じマガジンハウス『アンアン』編集部のアシスタントとして入れることになって、当時『アンアン』で活躍していたスタイリストさんのお手伝いができることになって。
―転機が訪れたんですね。ちなみにそれまでは何をされてたんですか?
銀行務めをしてました。
―え!? 銀行!?
10代の頃にバレーボールを結構本気でやっていて、銀行員としてバレーボールチームに所属して22歳の終わりぐらいまで5年間くらい、そこで働きました。それで、実家住まいの銀行勤務で、貯めたお金を全部持って東京に出てきたんです。バイトしながらアシスタントの空きを待っていたけど、なかなか出なくて。そうしたら、同潤会アパート…今の表参道ヒルズですね。当時はそこにあったファーマーズテーブルっていう雑貨屋さんで働いていた友達が「インテリアのスタイリストさんがアシスタントを探してるよ」と教えてくれて。その後、その方にアシスタントとして採用されました。
―念願のスタイリストアシスタントですね。
でも、そうしたら今度はその方が転職することになって、途方に暮れていた私を拾ってくれたのが当時の『アンアン』の編集長だった淀川(美代子)さんだったんです。「あなた、センスいいからファッションのスタイリストをやりなさい」って。それで、『アンアン』の専属でアシスタントができることになって、独立してからもしばらくはその体制だったんですが、いろいろな雑誌の仕事にもチャレンジしたくて、淀川さんに相談してフリーランスに なりました。淀川さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
―そんなストーリーがあったんですね。でも、つくづくすごい執念ですよね。
思えば、いつも目的があったなってゴールに向かってただひたすら走ってたなって。銀行に入るきっかけになったバレーボールもそうでした。私の母校はバレーの強豪校で、市内では負けたことがないような高校だったんです。中学校からバレーをやってた私はどうしてもそこに行きたくて入学したんですけど、当時って今じゃ考えられないくらい先生も先輩方も厳しくて練習もキツい。強豪校だから、いろんな中学から引き抜かれた人たちがたくさん入部したんですけど、ひとりやめ、ふたりやめとなってるうちに、10人くらいいた私の代はとうとう私ひとりになっちゃって…。
―え!? 上杉さん以外は全滅ですか?
はい。正直、メンタル的には結構キツくて辛かったです。でも強豪校の伝統を私の代で途絶えさせてはいけないというプレッシャーがずっとあって、その辛い状況を客観視してる余裕も、弱音を吐いてるひまもなくて。だからひとつ下の代の人たちと一緒に必死に練習を続けました。そうしたら、私が3年生になったときに大分市で優勝して、結果伝統を守ることができました。
―すごい逆転劇ですね!
本当に奇跡ですよね。だけど、それを経験してから、自分が強く思えば奇跡は起こるんだ、って思うようになりました。私は超ラッキーだとも思うけど、たぶん、人生って目的があったら自然とそこに行ける気がするんです。だから目的があるならそれを掲げて生きたほうがいいんじゃないかな。それも、一日一日の目的でいいと思うんですよ。結局は毎日の生活が一番重要なはずだから。
―勝ち負けの価値観から解放されたのは、何かきっかけがあったんですか?
あるとき、友人に言われたんです。「結果はプロセスがつくるものだよ。やるべきことをやった上で、結果がついてくるだけ。それは勝ち負けでもないし、人と比べるものでもないから」って。
―素敵な言葉ですね。
それを言ってくれたのが、今、私も所属しているセンス オブ ヒューモアの社長でヘアスタイリストのKENICHIさんで。若くて自信がなかった私が勝ち負けじゃなく、自分がやるべきことと向き合えるようになったのはこの言葉の影響が大きいと思います。
―ご自身にとって大事なものが見えるようになったんですね。
はい。人生って常に何かしら目的を持って行動し続けていたら自然とそこに行ける気がするんです。それも、小さな目的でいいと思う。例えば、“明日から朝6時に起きよう”とか。結局、毎日のルーティーンが人生をつくっていて、それを続けることによって目的を達成していけるんじゃないかと思います。
―念願のスタイリストアシスタントですね。
でも、そうしたら今度はその方が転職することになって、途方に暮れていた私を拾ってくれたのが当時の『アンアン』の編集長だった淀川(美代子)さんだったんです。「あなた、センスいいからファッションのスタイリストをやりなさい」って。それで、『アンアン』の専属でアシスタントができることになって、独立してからもしばらくはその体制だったんですが、いろいろな雑誌の仕事にもチャレンジしたくて、淀川さんに相談してフリーランスになりました。淀川さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
―そんなストーリーがあったんですね。でも、つくづくすごい執念ですよね。
思えば、いつも目的があったなってゴールに向かってただひたすら走ってたなって。銀行に入るきっかけになったバレーボールもそうでした。私の母校はバレーの強豪校で、市内では負けたことがないような高校だったんです。中学校からバレーをやってた私はどうしてもそこに行きたくて入学したんですけど、当時って今じゃ考えられないくらい先生も先輩方も厳しくて練習もキツい。強豪校だから、いろんな中学から引き抜かれた人たちがたくさん入部したんですけど、ひとりやめ、ふたりやめとなってるうちに、10人くらいいた私の代はとうとう私ひとりになっちゃって…。
―え!? 上杉さん以外は全滅ですか?
はい。正直、メンタル的には結構キツくて辛かったです。でも強豪校の伝統を私の代で途絶えさせてはいけないというプレッシャーがずっとあって、その辛い状況を客観視してる余裕も、弱音を吐いてるひまもなくて。だからひとつ下の代の人たちと一緒に必死に練習を続けました。そうしたら、私が3年生になったときに大分市で優勝して、結果伝統を守ることができました。
―すごい逆転劇ですね!
それを経験してから、自分が強く願って行動すれば奇跡は起こるんだ、って思うようになりました。ただ、だからこそ余計に勝ち負けに執着するようになってしまって。それを払拭するには、だいぶ時間がかかりましたね(笑)。
―勝ち負けの価値観から解放されたのは、何かきっかけがあったんですか?
あるとき、友人に言われたんです。「結果はプロセスがつくるものだよ。やるべきことをやった上で、結果がついてくるだけ。それは勝ち負けでもないし、人と比べるものでもないから」って。
―素敵な言葉ですね。
それを言ってくれたのが、今、私も所属しているセンス オブ ヒューモアの社長でヘアスタイリストのKENICHIさんで。若くて自信がなかった私が勝ち負けじゃなく、自分がやるべきことと向き合えるようになったのはこの言葉の影響が大きいと思います。
ご自身にとって大事なものが見えるようになったんですね。
はい。人生って常に何かしら目的を持って行動し続けていたら自然とそこに行ける気がするんです。それも、小さな目的でいいと思う。例えば、“明日から朝6時に起きよう”とか。結局、毎日のルーティーンが人生をつくっていて、それを続けることによって目的を達成していけるんじゃないかと思います。
“望んでいるのは、ただただ
成⻑し続けたいということだけ”
―そんな経験が今のお仕事でも活きているんでしょうね。念願叶って就いた職業だから、余計に。
そう思っています。私は本当にエディトリアルが大好きだったんですね。だから、ストーリー性やメッセージ性のあるページをとにかくつくりたかった。私にとってあこがれは海外のファッション誌のエディトリアルでした。パリヴォーグ(『ヴォーグ・パリ』)に『ザ・フェイス』、『セルフ・サービス(・マガジン)』とか、当時は’90年代でエディトリアル全盛期でしたから。『ダッチ(マガジン)』という雑誌が当時あったんですが、ページをめくるたびにドキドキする、本当に素晴らしいエディトリアルで。そういうものにすごく影響を受けました。
―スタイリストになる前後では、どんなお洋服がお好きだったんですか?
熊本で『オリーブ』のスナップに載ったときは、古着のコットンレースのブラウスに、確か古着のデニムでした。残念ながらプリンセスにはなれませんでしたけど(笑)。ちょうどスタイリストとして独立した頃、アントワープ・シックスが出てきて、私も洋服への情熱が一気に盛り上がりました。その当時はもう本当にお金がなくなるまで洋服を買いあさってた時代でしたね(笑)。このところ’90年代のムードが戻ってきてますけど、実際にそのファッ
ションを経験してきたことからの学びがたくさんあって、改めてすごくいい時代だったなと思います。
―でも、そうしたモードの洗礼を受けていても、上杉さんの提案するスタイルは非現実的なファンタジーとはちょっと距離がありますよね。
ファンタジーには個人的にはあんまり興味がないんです。やっぱり私は街中のスナップから始まって、ストリートがベースにあるからだと思います。ただ、非現実、現実、その両方があってファッションの世界はバランスが成り立ってるとも思います。
―今回持ってきてくださった写真集はそのイメージソースの一部っていうことなんですね。『WOMEN ARE BEAUTIFUL』に『BACK IN THE DAYS』、『NIGHT AND DAY』に『ON THE STREET 1980-1990』…。テイストも性別も様々ですけど、共通するものがある気がします。
アシスタントをしていた頃の『アンアン』は街角スナップの全盛期で、当時は週末になると実際に路上に立って素敵な着こなしをしている人を探してたんです。だから、それが染み付いてるのかも。そこからの学びがあって今でも路上で素敵な着こなしをしている人をいつも探してます(笑)。今回のインタビューのお話をいただいてから自分のキャリアを振り返ってみて気づきました。私にとってスタイリストは職業であり、あくまで役割なんです。
―そんな経験が今のお仕事でも活きているんでしょうね。念願叶って就いた職業だから、余計に。
そう思っています。私は本当にエディトリアルが大好きだったんですね。だから、ストーリー性やメッセージ性のあるページをとにかくつくりたかった。私にとってあこがれは海外のファッション誌のエディトリアルでした。パリヴォーグ(『ヴォーグ・パリ』)に『ザ・フェイス』、『セルフ・サービス(・マガジン)』とか、当時は’90年代でエディトリアル全盛期でしたから。『ダッチ(マガジン)』という雑誌が当時あったんですが、ページをめくるたびにドキドキする、本当に素晴らしいエディトリアルで。そういうものにすごく影響を受けました。
―スタイリストになる前後では、どんなお洋服がお好きだったんですか?
熊本で『オリーブ』のスナップに載ったときは、古着のコットンレースのブラウスに、確か古着のデニムでした。残念ながらプリンセスにはなれませんでしたけど(笑)。ちょうどスタイリストとして独立した頃、アントワープ・シックスが出てきて、私も洋服への情熱が一気に盛り上がりました。その当時はもう本当にお金がなくなるまで洋服を買いあさってた時代でしたね(笑)。このところ’90年代のムードが戻ってきてますけど、実際にそのファッションを経験してきたことからの学びがたくさんあって、改めてすごくいい時代だったなと思います。
―でも、そうしたモードの洗礼を受けていても、上杉さんの提案するスタイルは非現実的なファンタジーとはちょっと距離がありますよね。
ファンタジーには個人的にはあんまり興味がないんです。やっぱり私は街中のスナップから始まって、ストリートがベースにあるからだと思います。ただ、非現実、現実、その両方があってファッションの世界はバランスが成り立ってるとも思います。
―今回持ってきてくださった写真集はそのイメージソースの一部っていうことなんですね。『WOMEN ARE BEAUTIFUL』に『BACK IN THE DAYS』、『NIGHT AND DAY』に『ON THE STREET 1980-1990』…。テイストも性別も様々ですけど、共通するものがある気がします。
アシスタントをしていた頃の『アンアン』は街角スナップの全盛期で、当時は週末になると実際に路上に立って素敵な着こなしをしている人を探してたんです。だから、それが染み付いてるのかも。そこからの学びがあって今でも路上で素敵な着こなしをしている人をいつも探してます(笑)。今回のインタビューのお話をいただいてから自分のキャリアを振り返ってみて気づきました。私にとってスタイリストは職業であり、あくまで役割なんです。
―上杉さんが考えるその役割において、何が大事なんでしょうか。
服を着ることでその人が個性を引き出せたり、より美しく見えたり、いいところをもっとよく見せられるような…言ってみればツールみたいなものでありたいと思ってます。エディトリアでモデルをキャスティングして表現するにしても、まずはその女性像をしっかりつくり上げたい。そのコーディネイトが本当にその人のクローゼットにあるのかどうか、
なんて考えたりしています。それがリアリティになると思うし、どういう服を着るのが一番、人物像に適してるかを考えることが多いですね。
―ファッションの世界だと、主役は服だ! という考え方の人も多いでしょうけど、上杉さんにとっての主役は人なんですね。
そうですね。私はあまり自分を人と比べることもしないし、いろんな個性があってもちろんいいと思ってます。それよりも、スタイルを作るということに何が必要なのか追求していきたいなって。
―でも上杉さんの長いキャリアで、服づくりに携わられるようになったのには少し驚きました。榮倉奈々さんとニューナウというブランドを始められた経緯について、教えていただけますか?
実は、そういうお誘いをいただいたことは過去にも何度かあったんですけど、引き受けるとは一切思っていなくて。だけどタイミングですかね。奈々ちゃんと私は同じ美容室なんですけど、そこで初めてお話を聞いたんですよ。
―え、事務所に呼ばれて…とかではなくですか?
はい(笑)。そんなところから始まりました。私もスタイリストとしてのキャリアはありますが、新しいことにチャレンジするタイミングでもあるのかなと感じたんです。それもあって、「お引き受けしよう」って。ブランドの名は私と主人とでアイデアを出しました。奈々ちゃんはじめ、スタッフ全員の満場一致で決定しました。
―改めて名前に込めた意味をうかがえますか?
“今”って、どんどん変わり続けると思うんです。今、こうやって話してることも1秒後には過去になってる。だから、今、この瞬間を大切に生きた方がいい。過去は変えられないし、未来はわからないじゃないですか。でも、未来をつくるのは今だから、その新しい今に集中して生きていこうっていうメッセージを掲げたかったんです。
―素敵な考え方ですね。つくる洋服はまず榮倉さんから「こういうことがやりたい」っていう風に出てくるんですか?
それもありますし、私からインスピレーションになる資料を出すこともあります。そこからみんなで「だったらこういうものをつくりたいね」みたいな話をしながら、シーズン全体でどういう風にしていくのかを決めてます。
―ニューナウでやるべきこと、やらないようにしていることの指針はありますか?
ひとつ、奈々ちゃんが着て似合うものっていう指標はあります。でも、奈々ちゃんによく聞かれるんですよ。「これをつくって、美雪さんは着るの?」って。私が「あれ、そう考えると自分では着ないかも」ってなると、「だったらつくらなくて良くない?」っていうことは結構あります。
―上杉さんが考えるその役割において、何が大事なんでしょうか。
服を着ることでその人が個性を引き出せたり、より美しく見えたり、いいところをもっとよく見せられるような…言ってみればツールみたいなものでありたいと思ってます。エディトリアでモデルをキャスティングして表現するにしても、まずはその女性像をしっかりつくり上げたい。そのコーディネイトが本当にその人のクローゼットにあるのかどうか、なんて考えたりしています。それがリアリティになると思うし、どういう服を着るのが一番、人物像に適してるかを考えることが多いですね。
―ファッションの世界だと、主役は服だ! という考え方の人も多いでしょうけど、上杉さんにとっての主役は人なんですね。
そうですね。私はあまり自分を人と比べることもしないし、いろんな個性があってもちろんいいと思ってます。それよりも、スタイルを作るということに何が必要なのか追求していきたいなって。
―でも上杉さんの長いキャリアで、服づくりに携わられるようになったのには少し驚きました。榮倉奈々さんとニューナウというブランドを始められた経緯について、教えていただけますか?
実は、そういうお誘いをいただいたことは過去にも何度かあったんですけど、引き受けるとは一切思っていなくて。だけどタイミングですかね。奈々ちゃんと私は同じ美容室なんですけど、そこで初めてお話を聞いたんですよ。
―え、事務所に呼ばれて…とかではなくですか?
はい(笑)。そんなところから始まりました。私もスタイリストとしてのキャリアはありますが、新しいことにチャレンジするタイミングでもあるのかなと感じたんです。それもあって、「お引き受けしよう」って。ブランドの名は私と主人とでアイデアを出しました。奈々ちゃんはじめ、スタッフ全員の満場一致で決定しました。
―改めて名前に込めた意味をうかがえますか?
“今”って、どんどん変わり続けると思うんです。今、こうやって話してることも1秒後には過去になってる。だから、今、この瞬間を大切に生きた方がいい。過去は変えられないし、未来はわからないじゃないですか。でも、未来をつくるのは今だから、その新しい今に集中して生きていこうっていうメッセージを掲げたかったんです。
―素敵な考え方ですね。つくる洋服はまず榮倉さんから「こういうことがやりたい」っていう風に出てくるんですか?
それもありますし、私からインスピレーションになる資料を出すこともあります。そこからみんなで「だったらこういうものをつくりたいね」みたいな話をしながら、シーズン全体でどういう風にしていくのかを決めてます。
―ニューナウでやるべきこと、やらないようにしていることの指針はありますか?
ひとつ、奈々ちゃんが着て似合うものっていう指標はあります。でも、奈々ちゃんによく聞かれるんですよ。「これをつくって、美雪さんは着るの?」って。私が「あれ、そう考えると自分では着ないかも」ってなると、「だったらつくらなくて良くない?」っていうことは結構あります。
―すごく本質的だと思います。受注会には実際に上杉さんも立ち会われていましたよね。
そうですね。実際に一般のお客様が来てくださって、コーディネイトの提案をすると試着室から出て来られたときにびっくりするぐらいキラキラされてるんですよ。新しい自分を見つけたような感じで。その表情を見ていると私も嬉しくて。
―時代時代で目的を持って、それを達成してきたというお話を聞いてきましたけど、今の上杉さんの目的はどんなものですか?
今望んでいるのは、ただただ成長し続けたいということだけ。あるとき人生について考えたことがあったんですよ。自分の生きる目的って何だろう? って。そのとき、私は一生成長し続けたいんだな…と気づいたんです。だから常に学んでいたいし、謙虚でありたい。意識的でいないと、学びは自分の中に入ってこない。エゴや執着で埋まっていたら、誰かの素晴らしい言葉も、何も入ってこない。常に意識的でいて学びがあって、成長していけたらと思ってます。
―スタイリストとして第一線で長年活動し続けてきて、逆に初期衝動のようなところに立ち返ったんですね。
スタイリストっていう肩書きがなくなったら、自分は何なんだろうってよく考えるんです。そこに何があるんだろう、って。人間として魅力的でいるためには何の肩書きも、きっといらないはずなんです。今、その瞬間に何か美しいものを見出せれば、満足できてそれが幸せ。そういう生き方ができたらいいなって、私は思います。
―すごく本質的だと思います。受注会には実際に上杉さんも立ち会われていましたよね。
そうですね。実際に一般のお客様が来てくださって、コーディネイトの提案をすると試着室から出て来られたときにびっくりするぐらいキラキラされてるんですよ。新しい自分を見つけたような感じで。その表情を見ていると私も嬉しくて。
―時代時代で目的を持って、それを達成してきたというお話を聞いてきましたけど、今の上杉さんの目的はどんなものですか?
今望んでいるのは、ただただ成長し続けたいということだけ。あるとき人生について考えたことがあったんですよ。自分の生きる目的って何だろう? って。そのとき、私は一生成長し続けたいんだな…と気づいたんです。だから常に学んでいたいし、謙虚でありたい。意識的でいないと、学びは自分の中に入ってこない。エゴや執着で埋まっていたら、誰かの素晴らしい言葉も、何も入ってこない。常に意識的でいて学びがあって、成長していけたらと思ってます。
―スタイリストとして第一線で長年活動し続けてきて、逆に初期衝動のようなところに立ち返ったんですね。
スタイリストっていう肩書きがなくなったら、自分は何なんだろうってよく考えるんです。そこに何があるんだろう、って。人間として魅力的でいるためには何の肩書きも、きっといらないはずなんです。今、その瞬間に何か美しいものを見出せれば、満足できてそれが幸せ。そういう生き方ができたらいいなって、私は思います。
上杉美雪|うえすぎみゆき
大分県出身。服やスタイルを通し、時代性と普遍性とを備えた女性像を提案し続けてきたスタリスト。
エディトリアルから広告、ファッションブランドのキービジュアルから俳優のスタイリングまで、手掛ける分野も幅広い。2023年には俳優の榮倉奈々とともにニューナウを設立。クリエイティブ・ヴィジョン・ディレクターとして、ブランドの躍進を支えている。
Instagram: @miyuki_blue
上杉美雪|うえすぎみゆき
大分県出身。服やスタイルを通し、時代性と普遍性とを備えた女性像を提案し続けてきたスタリスト。エディトリアルから広告、ファッションブランドのキービジュアルから俳優のスタイリングまで、手掛ける分野も幅広い。2023年には俳優の榮倉奈々とともにニューナウを設立。クリエイティブ・ヴィジョン・ディレクターとして、ブランドの躍進を支えている。
Instagram: @miyuki_blue