THE WORLDʼS FINEST #TWFJS - TOMOKI SUKEZANE
ファッションをはじめとした各ジャンルの〈ジョン スメドレー〉愛用者を通じてブランドの魅力を伝えていく「The Worldʼs Finest」。いつの時代においても“最上級”な〈ジョン スメドレー〉への思いとともに、ご愛用者によるブランドとの関わり方を語っていただいています。今回は、パリやミラノのメンズコレクションを長年現地で見続け、モードの世界をさまざまに紹介してきたスタイリスト/ファッションディレクターの祐真朋樹さんにお話を伺いました。
“スタイリングを際立たせるデザインや素材感が魅力のひとつ”
― 〈ジョン スメドレー〉との出会いについて
1986年に東京に出てきて、雑誌『POPEYE』で仕事をし始めるのですが、当時、スタイリストの山本康一郎さんや島津由行さんが面白いと話していたショップが、代官山にできたばかりの「レディ・ステディ・ゴー」でした。モッズに代表されるロンドンのストリートのアイテムが並んでいる中に、〈ジョン スメドレー〉のベーシックな黒のポロシャツも並んでいて、それが僕と〈ジョン スメドレー〉の最初の出会いでした。でも、大好きなイギリスのロックバンド、スタイル・カウンシルのアルバム『Our Favorite Shop』(1985年)のジャケットに、ポール・ウェラーが〈ジョン スメドレー〉と思われる黒のポロシャツを着ている写真が使われていて、その雰囲気にシビれました。そんなこともあって、僕は「レディ・ステディ・ゴー」でポロシャツを買ったわけです。その後、他のセレクトショップでも白や薄いピンクのポロシャツを見かけるようになりましたが、スーツにあわせるような提案がされていたのが新鮮でした。そういうスタイリングもいいなと思って、何枚かポロシャツを購入したんですよね。だけど、20代前半で若かったこともあり、まわりの評判はあまりよくなかった(笑)。苦い思い出です。
祐真さんが、数ある私物の中から持ってきてくれたのは、1998年に発売されたニットTシャツ「BAXTER」。
当時「黒をよく着るようになった時期で、上品さがあって素材の良いこのニットを好んで着ていました」。
― 〈ジョン スメドレー〉の魅力について
今日、家から持ってきた黒の半袖ニットは1998年のモデル。ロンドンかパリで買ったものだと思います。90年代後半はよくロンドンに行っていました。メンズのラグジュアリーブランドが増えた時代で、ロンドンにはいいものだけを揃えるセレクトショップがあったし、ハーヴェイ・ニコルズのような百貨店もファッションに力を入れていたので、ミラノやパリよりもまとめて新しいものがチェックできました。当時の僕は30代。イタリアのブランドを好んで着ていたのですが、ロンドンに行くとサラッとした着こなしのイギリスの男性たちがかっこよく見えました。〈ジョン スメドレー〉にも通じることかもしれませんが、ギラギラとしているわけではないのに、かっこいい。何を着ていても、服が目立つのではなく、着ている本人が光っている。それがクールだと思いましたね。パンクやモッズといった音楽の文化が背景にあるからかもしれませんが、イギリス人のファッションにはそんな匂いやスタイルが感じられて、スタイリストとしては見ていて楽しかったです。
今着ているニット(JATHAN)もそうですが、〈ジョン スメドレー〉は、服にブランド名やマークが付いているわけではないけど、デザインや素材感で、ひと目で分かる。その主張のなさが魅力だし、そこがエレガントなわけで、仕事でスタイリングするときにもモデルやタレントさんたちによく着てもらっています。年配の俳優さんとか画家の方などは、デザイン性の高いジャケットの下にシンプルな〈ジョン スメドレー〉のニットを合わせると、とても上品にまとまります。あと、ニットではないですが、日本で企画されたジャケットやパンツも雑誌のスタイリングで使ったのですが、そのテーラリングがすごくよくて。僕がディレクションをしているブランド〈MH〉でもコラボレーションをさせてもらいました。今や〈ジョン スメドレー〉は、伝統あるニットブランドというだけでなく、日本発信のテーラリングのブランド
としても面白い存在だと思います。
― ロンドンで仕立てたスーツの思い出
もちろんロンドンでもスーツを作ったことがあります。よく行っていた90年代に、〈オズワルド・ボーテング〉で作ったのが最初です。1995年のパリコレで彼が鮮烈なデビューを飾った後のことでした。多分1996年頃。定宿にしていたポートベローホテルの前で、オズワルドが偶然前方から歩いて来るのが見えました。あまりにも突然でしたが、思わず「Are you Ozwald Boateng?」と口にしてしまった僕。彼は「Me?」と言って振り返ってくれたので、その場で「あなたのスーツに興味がある」こと、「できればスーツをオーダーしたい」ことを伝えたら、「もちろん作れるよ」というので、その場でアトリエの住所を貰って、翌日訪ねました。注文者リストの中にはフォトグラファーのニック・ナイトの名前もあって、「おお!」と期待が膨らみました。
サヴィル・ロウでも作りたいと思っていたのですが、当時は敷居が高くて、外から中を覗いたり、店のまわりを一周したりしていましたね(笑)。その後、2002年に野口強さんと雑誌のロンドン特集を手掛けることに。取材も兼ねて念願のサヴィル・ロウでスーツ作ることになりました。ただ、選んだテーラーは有名店ではあったけど当時あまりいい評判を聞かなくて、半信半疑で仕立てたという感じでした。同じタイミングで取材をしたアレキサンダー・マックイーンにその話をすると、彼は店で選ぶのではなく、誰が仕立てるかが重要だと。それで「ハンツマン」という店のテーラーを紹介してくれて、わざわざ電話までかけてくれたので、取材後にそのまま向かいました(笑)。ファーストフィッティングはその2ヵ月後。そしてそのまた3ヶ月後くらいにハンツマンへ。このタイミングでピックアップできるかと思っていたのですが、テーラーは仕上がりが気に入らなかったらしく、急に肩の縫製を割いてしまいました……。そんなこんながありましたが、結果、とてもいいものが仕上がりましたね。
― 祐真さんにとって、今、最上な時間の過ごし方とは
今はゴルフに夢中です。ゴルフはかれこれ40年近くプレイしてきたのですが、これまではうまくなろういう気もなくて。「ゴルフってファッションがいまひとつ」とかいう思いもあり、いまひとつ真剣になれなかったんですね。まあ、下手の言い訳です。そんなことは上手くなってから言え、ってこと(笑)。でも最近、これまでどれだけクラブを買い替えてきたのかを考えると、うまくならないと死ねないです。だから人生で初めて、必死にがんばっています。
祐真 朋樹
1965年1月25日、京都市生まれ。(株)マガジンハウス『POPEYE』編集部でエディターとしてのキャリアをスタート。現在は
『Casa BRUTUS』、『UOMO』、『ENGINE』などのファッションページのディレクションのほか、アーティストやミュージシャン
の広告・ステージの衣装スタイリングなどを手掛けている。パリとミラノのコレクション取材歴はかれこれ30年に及ぶ。