1. 02 SHINSAKU NAKAZONO















見果てぬ興味が指す景色
語り 中園晋作


 感覚的な興味のようなものを追っていると思います。大学の時に陶芸を専攻して、その頃から立体のものが感覚的に面白そうだなと思って、彫刻じゃなくて、削っていくよりも作り上げていく。卒業後も陶芸で個展も何回かしてきたのですが、あまり何かを積み重ねるという感覚はなくて、はっきりとした事柄や技術の追求というよりは、これをこうしたらどうなるだろうとか、美しいものとは何か、こうすべき、こうしなければならないということに囚われず、自分の内から出てくる興味の探求を続けていけるかどうか。難しいところではあるんですけど、目的のものが分かっていて、そこに行きつく為に制作する事が、あんまり面白いと思えないのかもしれないですね。だから、技術を磨いてもの作りをするというよりは、その過程が重要というか、手を動かし、作っている行為自体を繰り返していくうちに、新たな発見、面白さが出てくるという感覚です。最初から形や色を決めた物を作るのは、能率的にはできるんでしょうけど、“そういう感覚” には鈍感になる気がします。
 そしてその先で、作り出したものが人に何か影響を与える、道具としての器というより、自分の空間にただ置いてみようとか、写真や料理の盛り付けなどに興味がなかったけれど、その器を前にした時に、写真を撮りたいと思ってもらったり、そんな事が起きてくれば面白いし、嬉しいです。
使った方に少しでも影響を与えられれば、今度は例えば服にも、そして家具や部屋、空間とか、もの作り自体にも興味が湧いてくるかもしれません。うつわは、そういう拡がり、気持ちや想像力が拡がるきっかけとして、存在する事も出来るんじゃないかな、と。
 今までお話ししてきたように、制作を続ける上でどこかに達する、目指すところを決めて進む感覚は無いので、絶対に続ける、というよりも自分の内側から湧き出る興味のようなものに素直に向き合い続けられたらと思います。もし先々、湧き上がるものが無くなるのであれば、自分の制作活動もそこまでかな、と思います。