故きを尊ぶ眼差し、遺す佇まい
語り 亀田大介
基本的に美味しいもの食べ、美味しいお酒を飲み、いいうつわがあれば幸せだなと思い制作しています。僕は製作時の自分の内面や心理状況はうつわに入ると思っていて、いいものができないと思いながら仕事をするとうつわに出てくる。震災、福島原発の事故を経験し今まで当たり前にあった生活が全てなくなり。移住先で工房を建てる中でもトラブルが続いたり、ろくろを挽く気持ちになんかなれない時期もあったんです。挽きながら絶対いいものなんかできないと思いながらも、依頼された展示会をするんですが、手に取ってもらえずに戻ってくる。お店の方が申し訳なさそうにされるんですが、でも僕が一番わかっているので。やはりそういった気持ちの中で仕事をすると、どうしてもうつわに出て伝わると思っています。
実家が大堀相馬焼1 の窯元で、窯元として職人さんに窯ものを作ってもらいつつ、自分も陶芸家として美術工芸の作品を制作していた頃、お客さんから言われた一言がきっかけで日常のうつわ、生活工芸の世界に入ったのですが、それまでイメージしていた陶芸と異なり、いろいろな作家がいろいろな技法を使って各人各様のうつわを作っている事が新鮮だったんです。やりたいことは何でもやってみました。粉引を中心に初めつつ上絵、銀彩など。その中でようやく自分の好きなもの、のめり込めるものが少しずつ見えてきて。それが我が家の食卓に入ってくるのが心地いいんですよね。気づくと8 割ぐらい僕と文さん2 のうつわになって。自信の有無は別として、そんな食卓を見ると「いいね」って思う。使う人にも楽しく使ってもらいたいですし、自分もやはり楽しめていないと伝えられない。
白磁の白というのが、同じ白でも幅や奥行きのある白で、その中に自分の世界を出すというのが、面白いところではあるんですけど、難しい。それは自分が日々育ち生きていかないと作れない。
「これ誰の? でも、なんかいいよね」という、昔の民窯のように何かが伝わってくる。僕の作りたいうつわって、そこなので。いつか、100 年200 年と時が経ちそこで生きている人が、僕の名前など関係なく愛でて楽しんでいてくれていたら、なんだか嬉しいなって。