1. 02 YU UCHIDA





木の声を聞く。そこに宿るものを掬い、削る。 語り 内田悠




 何千年もダム底に埋没していた神代タモや細菌の作用で偶然生まれる独特な模様のスポルテッド、虫に喰われた材に近隣の森で伐採された間伐材。とにかくそういう材をたくさん触るうちに強烈に思ったんですよね。我を出すのは違うって。僕はもともと個性を出すタイプじゃないけど……だから、どう引き出すのか。陶芸は自然現象と人の手でゼロからかたちを作り出す合わせ技だけど、一方で木工ってそうでもない。木が先にあって、それを削る引き算の作業。だとすると、自分のなかにあるフィルターを通じて木がどういうかたちになるのかってだけ。作家ごとにそれが違うから、同じ材でも出来上がりは全然違う。僕はできるだけ余計なことをせず、敢えて手跡を残さない。かたちもいたって普通ですけど、しっかりと「かたち」を捉える。やわらかい印象の木があれば、かたいものもある。繊維が密で色っぽいなら細めの線を引いたり、木目がおおらかだから大きくふっくら とした曲線を描いたりとかね。ふっくらさせるけど、平たくして木目の見せ方を平(たいら)に見せる……なんてことは考えて作ってないですけど。

結果としてそうやって、木に合うかたちを選んでるつもり。それがはまらなければつくらない。かたちを考え抜いて削って、それがひとつ、今までにない木工のジャンルになればいいなあと。木の上に、人の気配がなんとなく感じられるクラフトというのは、僕の目指すところではないんですよ。

 でもなんですかね。振り返ると到底作品と呼べない、ごく初期に作った自分のお皿なんかはすごくださかったですよ。もともと作家になろうと思ってなかったんですけど、あまりにもしっくりこなくて「このままじゃ終われないぞ」みたいな。それから古いうつわを見るようにして作り続けて、なんとなくわかってきたかなっていう。今でも持ってますよ。2~300 年前のスウェーデンの木工皿で。 言葉でどう説明したらいいかわからないんですけど、作られたその場所ではなく、遠く日本に運ばれても価値が認められるもの。それってやっぱりなにかがあるわけで。そのかたちをそのまま写すんじゃなくて、「なんでそれがかっこいいのか」を掴みとりたいと思ったんですよね。目に見える、わかりやすいなにかではなくて。

text_Yuria Koizumi  photo_Shinya Fukuda